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Red Orchid
本編 > 第一章 正しいネコのかぶり方 >
 掴まれた腕が痛い。
 もういい加減に離してくれないかな……。

 教室を後にしてからもずっと、男は俺の腕を掴んだままだった。しかもそのまま、もくもくと歩いている。
 石津もおとなしくついて来ているようだ。
 俺は男に引き摺られるように、ただ歩くだけ。

 いつもなら、すでに腕を払って離れているが、今の俺ではそれが出来ない。
 有効かどうか解からないが、まだ「温厚な樹哉くん」を崩すわけにはいかないから。
 何か言って喧嘩になるのは避けたい。俺だって理不尽な怒りをぶつけられて黙って居られる程、気は長くないから。

 そう思うには理由がある、そう、さっきからこの男は怒っているのだ。
 盗み見る俺よりも上にある顔にははっきりとその色が浮かんでいる。

 だから、石津も何も言わずについて来るんだろう。

 しかし、なぜ怒ってる?
 というか、この男は誰?

 そんな疑問が頭に湧く。

 石津の事を智章と言い、担任の大野の名前が出たという事は同じクラスだと予想がつく。そして、あれは恐らく俺達を助ける為の嘘。
 なぜなら、学校の案内は、すでに大野によって、朝受けていたんだから。

 俺には、人を助けて怒る理由が解からない。

 ただ単にあの男達がうっとうしかった?
 うん、それは解かる。俺も同感だ。でもそれだけならここまで、俺を怒りながら引っ張っている理由がない。

 石津に腹を立てている?
 そりゃ、確かにあの騒ぎを倍増させたのは石津だけれど、やっぱり、俺を引っ張っている理由にはならない。

 じゃ、俺?俺に腹を立てている?

 ……ならやっぱり、黙っておこう。言葉を掛けたらどんな言葉が降りかかるか、それを俺が耐えれるか解からない。そっとしとくに限る。そのうち怒りも収まって冷静に話しも出来るだろう。

 そう思って、「どこに行くんだ?」とか「あんた誰?」って言葉を全て飲み込んだ俺だった。





 そうやって連れて来られたのは学食で、俺は男に促されるまま窓際の席に座る。その間もずーーーと無言ってのもある意味凄いと思う。よくそれだけ怒りが継続されるな、と少し感心する。俺には到底出来ない。

 同じようにして俺の横に座らされた石津を見ると、曖昧に男に微笑んでいた。

「飯もらって来てやるから、待ってろ」

 そう言うと、石津の「僕も行くよ」という言葉を無視して、一人で行ってしまった。圧倒されたのか石津もそれを受け入れて座ったままだ。
 状況の説明も、自分の事も何も言わない男に半ば呆れつつ、俺は男の歩いていく後ろ姿を見ていた。ついでに男を目で追いながら、自分の置かれている様子を観察した。

 この学校の学食はおしゃれなカフェのように綺麗で、異様に広い。さすがに私立だ。お金を使う所には使っている。
 8人掛けの丸テーブルがほどよい感覚で置かれている。数はこの学校の生徒が3分の2程が座れるくらいか。昼休みを少し過ぎた今はその席の半分が埋まっていた。
 そして、男が向かった場所は、入り口から最奥にある配膳カウンターで、10人ほど生徒が並んでいる。
 建物は吹き抜けで、壁には螺旋階段があり、二階、三階の席は半分すりガラスで出来ているようで、その中の様子が解かるようになっていた。

 俺達の座った場所はその配膳カウンターのすぐ傍で、近くの生徒がこちらをちらちら盗み見ている。男は、配膳の順番を待ちながら、そんな様子を気にしているようだった。
 そんな男を見て、俺と石津は同じ方向を向き、同時にため息をついていた。

「もう、椋介は、何怒ってんだろう」
「……」

 独り言のような石津の言葉に俺は相槌を打ちがたく、無言で返す。

 そうか、椋介って言うのか。
 俺は、誰だかわからないと思っていた男の名前だけでも判明し、一つ疑問が解決したと、少しだけ満足感を味わった。

「……今日半日見てて思ったんだけど、相沢くんって無口だね」
「え?」

 無口?……今まで言われた事のない言葉に、俺は驚いた。

 確かによく喋る方ではないが、人並みに会話はする。普通だ。だけど、石津にそう言われて気が付いた。今日はほとんど会話などしていないって事に。

「休み時間、皆に囲まれても、曖昧に笑うだけで、ほとんど喋ってないでしょ。……ほら、だって今も、ぼーとしてるよ?」
「あ、ごめん」
「謝らないでよ〜、ホント相沢くんっておとなしいんだね、見てると僕でも守ってあげたくなっちゃう〜〜」
「……」

 な、なにっ!!
 今、おとなしいって言った?

 休み時間中群がる男達がうっとうしく、不機嫌さを表面に出せなしてはいけないと考えた俺は、身に着けた処世術【微笑返し】で切り抜けていた。

 【微笑返し】それは、「うーん」とか「ふーん」とかの合いの手と共に言葉のする方を向き、微笑みを返す。ただそれだけの技。だけど大勢の人に取り囲まれている時は有効だった。
 だいたい矢継ぎ早に口々に言葉を吐くから、質問の言葉も重なる。だから間延びした相槌を打っている間に会話が流れるのだ。それだけだったら不満もあるだろうけど、そこに笑顔を載せると見事に不満の表情が消える。両親の開くパーティでよく使った手だ。どうやら、それがよかったらしい。こればっかりは、この顔に産んだ両親に感謝だ。

 それはともかく、思惑はどうであれ、俺のこの行動により、石津から得られた言葉は、”温厚な好人物”という俺の希望に近いのではないか?それなら、企みが完全に成功したと言っても過言でない。その上おとなしいと見られるならトラブルは起こらないかもしれない。

 …………ビバっ!!無口!!ヴィヴァ!微笑み返しっ!!!
 
 俺は石津に気付かれないように小さなガッツポーズをとった。
 これで平穏な毎日を送れる可能性が出てきた。このまま、”無口”で”おとなしい”、「温厚な樹哉くん」を演じるぞ、と決意を新たにしたのだった。

 そんな事を思っていいて無言だったのだか、それを誤解したのか、石津は途端に表情を曇らす。

「あっ、僕なんかに守ってあげたいとか言われたくないよね?気を悪くさせたらごめん」

 そう言うなり、石津はしゅんとうな垂れてしまった。その様子は俺の庇護欲を大いに煽る。

 なんだ、この可愛い生き物は。こいつこそ守ってやりたいっ。

「そんな事思ってないよ、石津くん」
「本当?でもさ、男なら守ってもらうよりも守りたいでしょ?だからさあ……」

 失礼だけど、石津がそんな風に考えているなんて思わなかったから、意外な男らしさに俺はちょっと感動する。
 そうだよな、守ってもらいたいなんて思わないよな、普通。
 
 ……もちろんいざという時に助けられて嬉しくない訳はないけれど、それでもやっぱり、男としては悔しい。
 俺はそんな過去の風景を思い出し、その時の心情に引き摺られそうになる、だけど、それはこの場に相応しくないと、頭の中から追い出した。

「石津くん、俺はそんなの気にしないよ。だからあやまらないで欲しい」
「相沢くん……あぁ、もう、ホントにいい人だよね。……ね、僕を相沢くんの友達にして?」

 ……いきなりだな、石津。しかも小首を傾げるその様は子リスのように愛くるしい。

 俺は可愛いものが大好きだ。人でも、物でも、なんでも。どうでもいい話だが、日本の企業の生み出す商業キャラクターは可愛いと思う。だからつい集めてしまいたくなるのは、男として恥ずかしい事だろうか……。

 思考が脱線したが、石津の申し出は、俺にとって、久々に友達が出来るという事だ。なぜか、日本の学校では友達が出来なかった俺としては、素直にうれしい。

「石津くん、もちろんだよ。俺からもお願いするよ」
「わーー、よかった」
「俺こそ、転入初日に友達が出来るなんて思ってなかったから、うれしい。ついでに石津くんの事名前で呼んでもいい?」
「え?」

 「石津」って名前が呼びづらくて、何の気なしに提案したのに、石津が異様に驚いた顔をするので、ついからかいたくなってしまった。だから、名前を呼び捨てにしてみる。

「智章って」
「もう覚えてくれたんだ」
「名前を教えてくれたでしょ」
「あ、うん、そうだね。……なんか嘘みたい。相沢くんみたいな綺麗な人と友達になれるなんて」
「うん?智章も可愛いよ?」

 「綺麗」と言う言葉に抵抗はあるけど、それも本心なんだろうからさらっと流した。そして俺の「可愛い」って言葉に見事に反応する石津改め智章をじっと見る。すると、一瞬で耳まで真っ赤になった。そして照れたような笑いを浮かべ……

 あれ?可愛いって言われ慣れてると思ったのにな。
 だから怒るかと思った。

「…あ、こういう事言われたくなかったんじゃないの?」
「あんまり、ね。でも相沢くんに言われるとなんか嬉しいような、恥ずかしいような、くすぐったい」

 そう言うと更に赤くなって俺を見てきた。
 おいおいどこまで赤くなるんだ?

 俺はかなり楽しくなってきて来ていて、被っていたネコがはがれ掛けているのに気付いていなかった。

「智章、『相沢くん』じゃなくて、智章も樹哉って呼んでよ?」
「え?でも、僕、そんな呼び捨てなんて……」
「俺も呼び捨てにするから、ね、智章、言ってみて」
「あ、あいざーー」
「相沢じゃないよ?み・き・や」

 俺は、ニヤリと笑いながら、真っ赤になった顔の中にある、智章の唇を人差し指で縦に塞いだ。
 そんな俺は完全口説きモードで、それは素に近く、気付けば100万匹のネコが5匹くらいになっていた。

「お前ら何やってんだ?」

 突然目の前に置かれた食事の入ったトレー。そして目の前には不機嫌そうな椋介が立っていた。
 

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