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短編
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Chocolat idéal


 08’バレンタイン限定 フリーSS
 Chocolat idéal




 僕の師匠は伝説のショコラティエ。
 史上初のM.O.F.(フランス最優秀技能者章)を三部門獲得した凄い人。

 数年前まで東京に高級チョコレート専門店を3店舗、洋菓子店を5店舗も持っていたらしい。

 そんな師匠は現在、田園率が60%山が30%住宅地が10%なドがつく田舎の僕の町で小さな小さな洋菓子店を営んでいる。

 その名も「西洋菓子店」。

 どうしてもっとおしゃれな名前を付けないんだろうなぁ。
 
 と、一度師匠に聞いた事があった。
 
『洒落た名前なんか付けてもここいらの奴らに理解出来る訳がないだろ?』

 皮肉気に上げられた片眉に貼り付けられた冷笑、そして口から出るのは甘いお菓子を作っているとは思えない毒。

 はっきり言って僕の師匠は皮肉屋で毒舌家。
 初めて会った時なんか、怖くて注文する言葉が震えた程だ。

 それでも並べられたお菓子の美味しさにリピーターが後を絶たず、師匠の店は繁盛している。

 たとえ「西洋菓子店でお菓子を手にするには勇気と慣れが必要。店主は冷徹ながらイケメン。そんな店主の毒舌を、乗り越えた先に手に出来るのは甘い至高の芸術作品です」と地方テレビ局に勝手に紹介され、それを耳にした近隣のチャレンジャー達が寄ってたかって店に押し寄せたのを一笑の元に追い出し、しばらく店を閉めたとしても……地元民には受けていた。

 そんな師匠と僕が初めてしっかりと言葉を交わしたのは去年のバレンタインで、店の中で男の先輩と修羅場を演じた僕を優しく慰めてくれた。

 その時無言で差し出されたホットチョコレートにどれ程癒された事か──。

 思いがけないその照れたような仕草に胸がきゅんと高鳴ったのを今でも覚えてる。

 それから色々あって、僕は師匠に胸の高鳴りどころじゃない想いを感じさせられてしまっているんだけど。
 ついでに言えば半ば強制的にケーキ屋……じゃなかった、パティシエになるべく師匠の元で修行中だったりする。

 師匠には、僕には向かないってどれ程言っても諦めてくれない。

 僕は食べる専門なんだけどな……。

「ミチ、……ミチ!……こら、美智也!それ以上揺らすとチョコに水が入るっ。それにぐちゃぐちゃとかき混ぜるな、と何度も言ってるだろう!」

 ぼーとそんな事を考えていたら、いきなり師匠の怒号が飛んだ。
 ハッとして手元を見ると、チョコレートの入ったボールが傾き冷水が今にも侵入しようとしていた。

「あ!……ごめんなさい」

 慌てて直そうとした手はチョコレートの方に入っていた温度計を見事に引っかけ、それがボールの縁を滑って落ちそうになる。
 温度計を掴もうと手を伸ばせば、ボールごと握ってしまっていて反対側の縁が持ち上がり、更にそれを防ごうとボールを浮かせれば下にあった冷水の入ったボールを押してしまって……。
 そっちを気にすればこっち。と言う具合に驚いた僕は、咄嗟に手を引きその上離してしまった。

ガラン、ガラン…ガラゥン──ビシャッ。

 僕は掴んでいたもの全てを手放していたみたい……。

 かき混ぜていたチョコレートは水を弾きながらもぐっちょりと広がり、もちろん水はチョコレートの比ではないくらいに飛散している。師匠の店の磨き上げられた作業テーブルと言わずその床までも、チョコと水でぐしゃぐしゃになってしまった。

 もちろん僕の服にもべったりで、まあそれは師匠が僕専用ってくれた真っ白いコック服とエプロンだからいいんだけど……。


「美智也……」


 次の瞬間聞こえてきた師匠の低ーーい声に恐る恐る横を伺い見ると、そこには飛び散ったチョコと水にまみれた師匠が例の冷笑を浮かべて立っていた。

 エプロンとかコック服とかにも大量に飛び散っていたチョコと水は、イケメンだと地元のTVが謳ってたその顔…というか首から上全体に満遍なく飛び散っていて、茶色いそれは見ただけだとなんだかアレのようで頂けない。

「し、師匠……あの、その……ごめんなさい」

 僕は思ったよりも慌てていたみたいで、咄嗟に自分の付けていた長いエプロンの裾を掴んで師匠の顔を拭っていた。
 それには一番近くにいた僕にかかった大量のチョコがべっとりとついていたというのに……。

 当然べっとりついていたチョコは師匠の顔に移っていて、余計に汚してしまった。

「……美智也」
「あ!ああっ!ご、ごめんなさい!すぐにタオル取ってきますっ」

 真っ青になって踵を返した僕が足を一歩踏み出すと、何故か前に進まずに後ろへと移動した。

「あれ?」

 と、振り返ると師匠が俺のエプロンと身体の間の隙間を掴んで引っ張っていた。
 そのままぐっと引かれて師匠の汚れた胸に背後からぶつかる。

「師匠?」

 首をひねって問いかければ冷笑のままの師匠に身体を反転させられて、その鋭く冷たい双眸を真正面から受け止める事になってしまった。

「美智也、今俺の言いたい事が解るか?」
「いえ、あの……」
「お前は何をしてたんだっけ?」

 言い淀んだ僕に怒り顔の師匠が、問い詰めるように言葉を掛ける。

 僕は身の縮む思いで顔を下向けてぼそぼそと小さい声で答えた。

「チョコを良い感じになるように、混ぜて……」
「良い感じって……名前くらい覚えろよ。テンパリングだ。テンパリング」
「そう、そのテンパリングを……」

 もう半年も師匠の指導を受けているのに未だに専門用語の解らない僕は、師匠の言葉を継ぎながら賢明に状況を話そうとした。
 だけどそれを師匠は呆れた様子で遮ってくる。

「で、なんで今俺もお前もチョコまみれなんだろーな」

 それは零したからで、でもどうしてそうなったのかそれを僕も知りたいです。と思いながら「どうしででしょう?」と返せば、師匠は大きなため息を一つつき、下を向いていた僕の頬を両手で包み込んで顔を上げさせた。

「あのなぁ……お前は注意力、というか集中力がなさ過ぎる。何度もいってるだろう、今は熱を下げてたから大事ないが、これが高温のものだったらどうするつもりだ」

 言われた言葉はもっともで、だけど注意力も集中力も無いのは最初から解りきっている事で……。

「……すみません……あの、やっぱり、僕には……」

 僕には向かないと思います。と、言うつもりの言葉はまたしても師匠の強引な言葉に割り込まれて、最後まで言わせて貰えなかった。

「言い訳はもういい」

 師匠はそう吐き捨てて僕の頬を解放すると、髪にまで飛び散っていたチョコで頭が痒かったのか、何時も結わえてオールバックにしている色素の薄い柔らかそうなその髪を解き放ち、がしがしと無造作に掻きむしっている。

 乱暴な仕草も師匠がすれば色っぽいその様子を僕はぼーと見ていた。

 言い訳を言いたい訳じゃないのになぁ。

 そう思いながらも色気むんむんな師匠に、不謹慎な胸の高鳴りを覚えて顔に熱が集まってくる。
 その様子に気が付いた鋭い師匠は怒りを収めたのか、悪い事を思いついたかのような表情でにやりと僕を眺めてきた。

「美智也。とにかく俺をこんな風にして……いいかげんにしろよ?」

 言葉は諫めるそれだけど言った表情は妖艶で……。

 汚れた髪をかき上げて片方だけオールバックに戻った師匠は、その片手をこちらに差し出した。

「 罰だ、舐めろよ。」

 引力のある師匠の双眸に射抜かれた僕は、ふらふらとその手を取る。
 瞬間、強い力で引かれた僕は師匠の胸へと顔をぶつけた。ふわっと香るチョコレートの甘い香り、目の前にあった茶色いシミに吸い付けばミルクの入っていないそれは思ったよりも苦かった。

「そこじゃない」

 そう言って小さな僕の顔に向かって、大きな師匠が降りてくる。

 どんどんと近くなる師匠のイケメン顔。

 そして重なった唇に、

 そこには何もついてないよ?

 そんな疑問を思い浮かべて笑いが込み上げてきた。
 キスの間にクスクス笑うと、師匠は唇を離して怪訝そうな表情で僕を見たから、僕はチョコの付いていた師匠の口端をぺろっと嘗めた。


 やっぱり苦いブラックチョコレート。

 苦くて、でも仄かに甘いチョコレート。

 それは師匠のようなチョコレート。

 万人にうけるものではないけれど、好きになったらやめられない。

 だから僕が甘くしてあげる。
 それなら僕は上手に出来ると思うから。

 甘くなって皆に受け入れられるように、
 そして、

 他と同じになるように。


 だってそうしたら、誰も良いところに気が付かないでしょ。



 そうして僕は師匠を甘くする為にもう一度唇を嘗めた。



Fin
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